私は十代の高校時代、テレビでプロレスを良く観ていた。
小学生の時、周りの同級生たちはプロレスに熱狂していた。
佐山悟のタイガーマスク人気もあり、周りからよくプロレスの話を聞いていた。
しかし、当時私は金曜夜8時、太陽にほえろを観ていたと思う。
(プロレスなんて八百長でしょ?)
そう言う捉え方をしていた。
なぜならボクシングやキックボクシングに比べると、動きのスピードや技の受け方がわざとらしく感じていたからだ。
時が経過し、高校で空手部に入るとあらゆる格闘技について知識を得る事が出来た。
友人達から空手や拳法、ボクシング、プロレスを含めて歴史を聞き、自身の浅はかな考えは大きく変わった。
日本プロレスの歴史とレスラー達の確執。
レスラーへ感情移入する事でプロレスはドラマチックなものとして、夢中になれた。
レスラー間の確執だらけであり、それぞれ個性の強いレスラー達のプロレス社会構造は、私の後のサラリーマン人生における考え方にも影響を及ぼした。
当時は長州力の革命軍や、新日本プロレス対UWF、世代闘争が試合を盛り上げた。
全てはアントニオ猪木を中心とした抗争であり、抗争相手にも人気が出た。
私は夢中で週刊誌や月刊誌からプロレス情報を収集していた。
アントニオ猪木はプロレスラーではあったが、プロレスだけでなく、昭和の時代の最高のエンターティナーである。
ありがとう、アントニオ猪木。
ご冥福をお祈りします。